長崎地方裁判所 平成4年(ワ)315号 判決 1997年12月02日
原告
金順吉
右訴訟代理人弁護士
龍田紘一朗
同
横山茂樹
同
柴田國義
同
塩塚節夫
同
中村照美
同
松永保彦
同
熊谷悟郎
同
小野正章
同
石井精二
同
小林正博
同
中村尚達
同
福崎博孝
同
原章夫
同
小林清隆
同
井上博史
右訴訟復代理人弁護士
魚住昭三
右補佐人
林恩姫
被告
国
右代表者法務大臣
松浦功
右指定代理人
田川直之
外五名
被告
三菱重工業株式会社
右代表者代表取締役
増田信行
右訴訟代理人弁護士
木村憲正
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 被告らは、原告に対し、各自金一〇〇〇万七〇円を支払え。
二 被告三菱重工業株式会社は、原告に対し、金一二四円二八銭及びこれに対する昭和二〇年九月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 要旨
本件は、大韓民国の国籍を有する原告が、自分は、第二次世界大戦中、国民徴用令に基づき徴用令書の発付を受け、警察官らによって朝鮮半島から長崎県内に強制的に連行された上、当時の三菱重工業株式会社(以下、「旧三菱重工業株式会社」という。)の寮内に軟禁され、同社の下で強制的に労働に従事させられ、さらに原子爆弾の投下に遭って被爆したのに被告らに放置されたため、やむなく自力で日本を脱出して朝鮮半島に帰ったところ、自分が受けた徴用の実態は国民徴用令に照らしても違法なものであり、また、被爆した自分を被告らが放置したことは違法であって、これらの行為により精神的苦痛を受けたと主張して、被告らに対し連帯して共同不法行為による慰謝料一〇〇〇万円及び朝鮮半島への帰還に要した費用七〇円の支払を求めるとともに、被告三菱重工業株式会社(以下、「被告会社」という。)に対し旧三菱重工業株式会社に徴用されていた間の未払賃金等合計一二四円二八銭及びこれに対する遅延損害金の支払を求めたものである。
二 前提事実(一部争いのない事実及び公知の事実を含み、それ以外の事実については、かっこ書の中の各証拠によって認めることができる。)
原告は、大正一一年一一月一〇日、現在の大韓民国釜山市内において父金子澤、母崔順伊の長男として生まれたが、日韓併合条約の下、日本人として育った。昭和一六年四月一日、原告は崔粉華と結婚し、昭和一七年一〇月五日、慶尚南道生薬統制組合の雇員に採用されて月俸四五円、家族手当月額五円を支給され、以後昭和一八年四月から社宅料として月額九円、同年七月から嘱託手当として月額二〇円の加給を受け、同年九月三〇日には月俸五〇円に昇給、昭和一九年六月一日には書記に昇任し、さらに、同年九月三〇日には月俸五五円に昇給した。この間、原告の父は、原告の結婚後間もなく死亡し、その後、祖父も死亡し、原告は、後に残された妻、母のほか四人の弟の生計を支える一家の柱となった。(甲第一、二号証、第三号証の一ないし六及び原告本人尋問の結果)
被告国は昭和六年の柳条湖事件以来、次第に戦時体制に入り、昭和一四年には国家総動員法(昭和一三年法律第五五号)に基づき国民徴用令(昭和一四年勅令第四五一号。なお、朝鮮半島等の外地には昭和一八年勅令第六〇〇号により、同年九月一日から、国民徴用令が適用されることとなった。)が制定され、その後昭和一九年八月の閣議決定「半島人労務者ノ移入ニ関スル件」(厚甲第三九号)により、国民徴用令による一般徴用(特殊技能を有するか否かにかかわらず、一般の者を対象とする徴用)が朝鮮半島でも実際に発動されることとなった。(甲第二六号証、第三〇号証及び公知の事実)
昭和一九年一二月下旬、国民徴用令に基づき原告に対する徴用令書が発せられ、原告は、旧三菱重工業株式会社の長崎造船所において、資材運搬等の労働に従事した。なお、国民徴用令上、被徴用者に対してはこれを使用する事業主等から給与が支払われることになっていた(同令一八条)。(甲第二六号証、第三八号証及び原告本人尋問の結果)
昭和二〇年八月九日、長崎に原子爆弾が投下され(公知の事実)、原告は作業現場で被爆した後、自力で朝鮮半島に帰った(原告本人尋問の結果)。
戦後、旧三菱重工業株式会社は、会社経理応急措置法(昭和二一年法律第七号)上の特別経理会社、企業再建整備法(同年法律第四〇号)上の特別経理株式会社となった後、昭和二四年七月四日、同法による再建整備計画の認可申請書(乙イ第一五号証の一ないし四はその写し)を提出し、同年一一月三日、その申請どおりの内容で主務大臣の認可を受けた。そして、昭和二五年一月一一日、その再建整備計画に基づき解散し、同日、旧三菱重工業株式会社の現物出資等により新たに企業再建整備法上の第二会社として中日本重工業株式会社(昭和二七年五月二九日に新三菱重工業株式会社に商号変更し、さらに、昭和三九年六月一日、三菱重工業株式会社に商号変更。)、東日本重工業株式会社(昭和二七年六月一日に三菱日本重工業株式会社に商号変更。)、西日本重工業株式会社(同年五月二七日に三菱造船株式会社に商号変更。)の三社が設立された(以下、この三社を「第二会社三社」という。)。その際、旧三菱重工業株式会社の従業員の雇用関係は、役職、給料ともそのまま、退職金の関係でも在職期間は通算して第二会社三社に引き継がれた。また、第二会社三社の初代社長は、いずれも旧三菱重工業株式会社の常務取締役であった。(原告と被告会社との間で争いがない事実、甲第四号証、乙イ第一号証ないし第六号証、第七号証の一ないし三、第九号証の一ないし三、第一五号証の一ないし四及び証人小野治の証言)
その後、昭和三九年六月三〇日に第二会社三社のうち、新三菱重工業株式会社(ただし、当時の商号は、三菱重工業株式会社に変更済み。)が他の二社を吸収する形で合併する旨の登記がなされ、被告会社となった。(原告と被告会社との間で争いがない。)
なお、昭和四五年一〇月に三菱創業百年記念事業委員会から「三菱の百年」と題する出版物が、平成四年二月には被告会社横浜製作所から「三菱重工横浜製作所百年史」と題する出版物がそれぞれ発行され、さらに被告会社の長崎造船所の案内書には、「沿革」の項目の中で明治三年の九十九商会に始まり、昭和九年の旧三菱重工業株式会社を経由し、昭和三九年の被告会社に至る系譜が実線で示されている。(甲第五号証ないし第七号証)
三 争点及びこれに対する当事者の主張
1 被告らの不法行為に係る事実及び損害並びに未払賃金等
(一) 被告らの不法行為に係る事実(原告が受けた徴用の実態、被爆後に被告らによってとられた措置等)及び損害
(原告の主張)
(1) 平戸小屋寮へ連行されるまでの様子
昭和一九年一二月下旬、家族とともに暮らしていた原告のもとへ、予備招集の日時、場所が書かれた釜山府尹発付の徴用令書が届けられた。
これに対し原告は、徴用を逃れようと考え、予備召集日前に逃走し、母の実家があった蔚山郡湯山免唐月里に隠れた。
昭和二〇年一月八日、被告国の官吏であった南川里の派出所の日本人警察官と朝鮮人の高等係刑事が原告の母を追及して原告の所在を突き止め、原告の母を案内に立たせて原告のところに行った上、原告に対し、徴用に応じなければ家族に対する配給を停止すると脅した。当時は、徴用逃れに対する見せしめ的制裁と徴用の効果的な間接強制の方法として、徴用逃れに対しては、家族に対する配給の停止が現実に行われていた。
こうして、日本人警察官と朝鮮人刑事は、原告を軍用輸送列車に乗せて釜山駅前の旅館に連行し、午後九時ころ同旅館に着くと、現場に待機していた釜山府庁の総力課職員及び旧三菱重工業株式会社の職員に原告の身柄を引き渡した。原告は、その後すぐに同社職員らから私的暴力的制裁を加えられ、丸坊主刈りにされ、夕食は与えられなかった。
翌九日、原告ら釜山地区からの被徴用者は、夜明けとともに叩き起こされた上、関釜連絡船に乗せられ、一般乗客とは隔離された一室に閉じ込められた。戦闘服を着た五人の旧三菱重工業株式会社の関係者が、原告ら被徴用者が室外に出ないよう常時見張りをしており、用便にも同行した。翌一〇日、原告ら被徴用者を乗せた関釜連絡船は下関に到着し、その後、原告ら被徴用者は、行先を教えられることなく汽車に乗せられたが、ここでも旧三菱重工業株式会社の関係者が車両の両出入口を固め、原告ら被徴用者が逃亡しないよう見張っていた。汽車は長崎に到着し、原告ら被徴用者は、点呼の後、平戸小屋寮まで隊列行進させられたが、その際も旧三菱重工業株式会社の関係者が監視のため同行していた。
(2) 平戸小屋寮における生活と作業現場における労働
平戸小屋寮には三棟の宿舎があり、原告ら徴用工の監視、統御のために、寮長のほか、棟毎に中隊長と五人ないし六人の班長が配置されていたが、これら寮長、中隊長、班長は全員旧三菱重工業株式会社に雇われた日本人であった。平戸小屋寮は、その敷地周囲を、三メートル近い高さの太い丸竹組塀によって囲まれて外界から遮断され、その周りでは日本海軍の歩哨が一日中巡回していた上、出入口は一か所に絞られ、日本海軍の衛兵が一日中門番に立ち、原告ら徴用工の逃亡を防いでいた。原告ら徴用工は、毎日平戸小屋寮と作業現場の間を班長の引率のもと隊列行進させられて往来し、旧三菱重工業株式会社の元で労働を強制された。平戸小屋寮からの私用での外出及び個人での外出は全面的に禁止され、寮長が発行する外出許可証がない限り平戸小屋寮からの外出は許されなかった。外出許可証は、班長が引率する慰安のためのグループ外出の際及び逃走した徴用工を捜索するため班長に同行する際に発付されたに過ぎなかった。寮内の点呼は、毎日午後九時から九時三〇分の間に行われ、原告ら徴用工の棟内行動を規制し、違反と目される行為、気に食わない行動に対しては、暴力による制裁が公然と行われた。これらの強制労働や監視体制は被告国の指示、協力のもとに行われたものであった。
(3) 原子爆弾の投下後に被告らによってとられた措置及び原告の行動と日本脱出のための船賃の出費
昭和二〇年八月九日、長崎は原子爆弾の投下を受け、トンネル工作用鉄材を運搬作業中であった原告は、木鉢寮の食堂の下水溝に退避していたところで被爆した。
それ以降被告国及び旧三菱重工業株式会社は、原告を放置し、何らの明確な指示も出さず、保護的措置もとらずに遺棄した。このため、原告は自力で日本を脱出せざるをえず、船賃として七〇円を払って朝鮮半島へ帰った。
(4) 原告の被った精神的損害
原告は、このような強制連行及びその後の強制労働、さらに被爆後、被告国及び旧三菱重工業株式会社に放置されたことにより、多大な心身の苦痛を被り、金銭に評価して一〇〇〇万円を下らない損害を受けた。
(被告会社の主張)
(1) 平戸小屋寮での生活
平戸小屋寮は海軍の兵員宿舎でもあったため、入口の詰所には衛兵がいたが、原告ら徴用工を監視するためにいたわけではなかった。寮内では徴用工約八人に一室(一二畳)が割り当てられており、格別狭くはなかった上、原告は、平戸小屋寮に勤めていた寮母から握り飯を分けてもらったり、逆に原告から寮母にお返しをするなど人間的な交流をしており、寮生活では適切な扱いを受けていた。このほか、原告は、慰安のために映画館で映画を見せてもらったり、寮生全員で枇杷狩りに行ったりしたほか、徴用工同士でも繁華街に出かけたり、写真館で写真を撮ったり、買物や外食、時計の修理のために外出したり、神社に参拝に出かけたりしており、旧三菱重工業株式会社が原告ら徴用工を必要以上に拘束することはなかった。また、逃亡した徴用工が寮に連れ戻された場合も、暴力が加えられるというようなことはなかった。
(2) 作業現場における労働の実態
旧三菱重工業株式会社は、長崎造船所において原告ら朝鮮人徴用工を作業現場に配属するにあたっては、約一か月間簡単な日本語や作業道具の名称等の教育を行い、作業現場においても日本人と同じ班で労働に従事させていた上、作業内容、労働条件等において、朝鮮人だからといって日本人と差別したことはなく、特に危険な労働に従事させたこともなかった。就業時間は午前七時から午後六時三〇分まで、昼食時間は正午から四〇分間であり、残業を午後九時三〇分まで行うこともあったが、それほど頻繁に残業があったわけではなかったし、公休日も不定期ではあったが月に二回程度あった。また、当時の日本の内地の食糧事情は逼迫しており、一般市民においても米の配給は十分ではなかった(一人当たり二合三勺、昭和二〇年七月一一日からは一人当たり二合一勺)が、旧三菱重工業株式会社は軍の管理工場であったために特別に労務加配があり(一人当たり約一合、昭和二〇年七月一日からは一人当たり約八勺)、昼食には飯椀にして約三杯もある特大の握り飯を供していた。しかも原告が配属されたのは船殻工場輔工係水上遊撃班であり、団平船を使って船台に資材を運搬する作業であったため、その作業の性格上手待ちの時間が相当あり、その間原告は、手紙を書いたり、昼寝をしたり、下駄の鼻緒を作ったりしていたのであって、特別過重な労働に従事していたわけではなかった。
(3) 原子爆弾の投下後に旧三菱重工業株式会社によってとられた措置及び原告の行動等
長崎に原子爆弾が投下された後、平戸小屋寮の寮長は、原告ら朝鮮人徴用工に対し、原爆による被害がほとんどなかった福田寮に退避するよう明確な指示を出した。当時、各寮には乾パン等数か月分の食料の蓄えがあり、旧三菱重工業株式会社が原告ら朝鮮人徴用工を放置する必然性はなかった。
これに対し、原告は、一旦は右寮長の指示に従って福田寮に移ったものの、翌朝同寮を抜け出し、平戸小屋寮に戻って手荷物等を持ち出し、その後しばらく防空壕に潜んで逃亡の機会をうかがった末、原爆投下後の混乱に乗じてこれを実行し、旧三菱重工業株式会社に無断で密航船により朝鮮半島に帰ったのであって、原爆投下後、同社が原告を放置、遺棄したわけではない。
そして、旧三菱重工業株式会社は、原子爆弾投下後も寮に残った朝鮮人徴用工に対し、徴用解除後、集団で帰国させており、原告が支出した朝鮮半島への帰還費用は、徴用解除を待たずに同社に無断で帰ったために不必要な支出をしたにすぎない。
(被告国の主張)
原告が昭和二〇年八月九日、長崎市内で被爆したことは認めるが、それ以外の事実は知らない。
(二) 未払賃金等の有無
(原告の主張)
原告ら徴用工は、定額の日給賃金(徴用当初の三か月間は、年齢の如何を問わず「未経験労務者」として賃金統制令に基づき賃金給与に関し統制を受け、三か月後からは「既経験労務者」として取り扱われ、逐次賃金給与が増額される。)のほか、家族手当(扶養家族一人につき月五円)、皆勤手当(一か月皆勤した場合に日給の二日分)、残業手当、精勤手当、別居手当(月一五円)などの諸手当を旧三菱重工業株式会社から受けることになっていた。原告の昭和二〇年一、二月分の賃金等の額は、賃金五八円二二銭、加給金七円九九銭、精勤手当四円三五銭、家族手当一五円、皆勤手当一円七一銭の合計八七円二七銭であったが、そこから、同社によって、退職積立年金保険の積立金として三円八五銭、国民貯蓄名目で七一円二八銭等が控除された。また、同年三月一七日に支給されるはずの半島応徴工赴任手当二一円五〇銭、日当一円五〇銭の合計二三円も、全額が国民貯蓄名目で控除され、実際には手渡されなかった。その後、原告は、同年七月二五日、国民貯蓄の払下げとして、同社から二〇円の支給を受けたが、そもそも郵便貯蓄の制度の中に国民貯蓄なるものはなく、これは同社が賃金等の支払を留保する名目に用いたものにすぎず、その留保残額は七四円二八銭を下らない。さらに、同社は、同月二八日に原告に支払うべき賃金及びその後の原告就労期間中の賃金を支払っておらず、その額は五〇円を下らない。
よって、同社の原告に対する未払賃金等の額は一二四円二八銭を下らない。
(被告会社の主張)
旧三菱重工業株式会社は、原告に対し、昭和二〇年七月分の賃金までは支払済みであり、同年八月分の賃金及び国民貯蓄については、政府の指導(昭和二一年六月二一日厚生省発労第三六号、同年一〇月一二日厚生省労政局長労発第五七二号、同年八月二七日民事甲第五一六号民事局長通達等)に従い、昭和二三年に法務局に供託した。
2 被告会社の責任
(一) 旧三菱重工業株式会社の責任
(原告の主張)
(1) 関東大震災後、日本政府は主として治安上の理由から、朝鮮人の日本国内移住に消極的であり、その入国を制限する政策を採っていたが、日本の中国侵略が本格化するに伴い、国内の労働力が不足するようになったことから、民間企業及びその連合体である統制会(国家総動員法一八条に基づいて制定された重要産業団体令―昭和一六年勅令第八三一号―によって各産業界に設立された自立的企業共同体)は土木・建設・造船等の業界を中心として朝鮮人の労働力調達に政府の力を借りられるよう運動を始め、その結果、次第に政府は朝鮮人労働者の国内活用策を採るようになった。昭和一八年には軍需会社法(同年法律第一〇八号)が施行され、軍需会社は国の指導、監督の下に置かれたが、その実態は、国が軍需会社のあらゆる要求に応え、優先的に支援を行うものであり、同法の下でも、朝鮮人の労務動員、労務管理は民間企業の主導の下に行われた。昭和一九年八月の閣議決定「半島人労務者ノ移入ニ関スル件」により、国民徴用令に基づく一般徴用が同年九月から朝鮮半島にも適用されることとなったが、これも国内の労働力不足の深刻化に悩んでいた大企業の執拗な要請によるものであった。このように徴用制度は国の民間企業に対する援助、協力であった。しかも、国民徴用令上、六条及び二五条により、民間企業が「徴用ニヨリ人員ノ配置ヲ必要トスルトキハ」、その企業が厚生大臣(朝鮮にあっては朝鮮総督)に対し徴用を「請求又ハ申請」しなければならず、また、一般に徴用令書が発付、交付された後の徴用工の連行の中心は徴用を受け入れる民間企業が担っていたし、民間企業の下に徴用工を連行した後の労働の強制も民間企業が国と一体となって行ったものである。このような事情に鑑みるときは、朝鮮人徴用についての第一義的な責任は旧三菱重工業株式会社を含む民間企業にあるというべきである。
しかも、旧三菱重工業株式会社は、昭和一九年八月の前記閣議決定以前から朝鮮人の動員を行い、木鉢寮に収容して長崎造船所で労働に従事させていたし、原告の連行に際しては五人の職員が同行したのであるから、単に国から徴用工を割り当てられ、これを受け入れて使用したにすぎないとはいえず、被告国とともに、民法七〇九条、七一五条、七一九条に基づき、前記三1(一)の(原告の主張)(3)記載の船賃及び同(4)記載の精神的損害について、損害賠償責任を負う。
(2) また、旧三菱重工業株式会社は、前記三1(二)の(原告の主張)に記載のとおり、原告に対し、一二四円二八銭を下らない未払賃金等及びこれに対する支払期日後の昭和二〇年九月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金についての支払義務を負う。
(被告会社の主張)
原告は、国家総動員法及び国民徴用令により、釜山府尹が発した徴用令書に基づき徴用された者であって、旧三菱重工業株式会社はこれを法令に従って受け入れたにすぎないから、不法行為にはあたらない。
(二) 被告会社による債務の承継の有無
(1) 会社経理応急措置法及び企業再建整備法の適用の可否
(被告会社の主張)
旧三菱重工業株式会社は会社経理応急措置法一条一項一号本文の特別経理会社に該当したところ、同法七条及び一一条により、特別経理会社が有する財産は、指定時たる昭和二一年八月一一日午前零時において、新旧両勘定に振り分けられ、新勘定には指定時における積極財産のうち、「会社の目的たる現に行つている事業の継続及び戦後産業の回復復興に必要なもの」だけが所属するものとされ、指定時以前の原因に基づいて生じた債務はすべて旧勘定に所属するものとされたので、仮に、原告主張のように旧三菱重工業株式会社が原告に対し不法行為に基づく損害賠償債務や未払賃金等の債務を負っていたとしても、それらの債務は指定時以前の原因に基づいて生じた債務であるから、特別経理会社の貸借対照表の旧勘定の中に個別具体的に記載されているか否かにかかわらず、すべて旧勘定に所属することとなった。
そして、企業再建整備法による第二会社が設立された場合には、同法一〇条、同法施行令(昭和二一年勅令第五〇一号)三条により、第二会社は「指定時後特別経理株式会社の新勘定の負担となつた債務」だけを承継するものとされており、特別経理株式会社の旧勘定に所属することとなった債務については、これを第二会社があえて承継しない限り、当然に第二会社に承継させられることはなかった。
この点、本件でも、第二会社三社が旧三菱重工業株式会社の旧勘定に所属する債務をあえて承継することはなかった(企業再建整備法五条に基づき立案、認可申請された旧三菱重工業株式会社に関する整備計画の中で第二会社三社は旧三菱重工業株式会社の旧勘定に所属した債権債務を承継しないとしている上、第二会社三社の設立及び旧三菱重工業株式会社の解散に当たっては、これらの会社の連名で第二会社三社は旧三菱重工業株式会社の旧勘定に所属した債権債務を承継しない旨記載した文書を取引先に宛てて発送した。)から、第二会社三社が合併して設立された会社である被告会社は、旧三菱重工業株式会社の旧勘定に所属した債務を承継しない。
なお、会社経理応急措置法及び企業再建整備法は、特別経理株式会社に対し、戦時補償の打切りによる影響を遮断するため、指定時以前の原因に基づく債務を旧勘定として区分し、その弁済を禁止するなど、それらの債務を一時凍結したものの、第二会社設立後は旧会社の債務として存続させたのであって、しかも労働者の賃金及び預かり金については、例外的に常に弁済可能とされていたから、原告主張の債権との関係で両法を適用しても原告の債権を没収することにはならず、「日本国との平和条約」(昭和二七年条約第五号。以下、「サンフランシスコ講和条約」という。)に反しない。
また、前述のように、企業再建整備法上、第二会社が承継することとされた債務は、特別経理株式会社の新勘定に所属したものに限られたのであるから、たとえ旧勘定への具体的な計上がなくても、第二会社に債務が承継されるものではない。
(原告の主張)
① 旧三菱重工業株式会社と被告会社との一体性
第二会社三社の初代社長は、いずれも旧三菱重工業株式会社の常務取締役であった上、旧三菱重工業株式会社の資産、事業内容はそのまま第二会社に分割して承継され、旧三菱重工業株式会社に勤務していた労働者についても、雇用契約を新たに締結することなく第二会社三社に勤務することとなり、その勤続年数は旧三菱重工業株式会社時代から通算され、労働条件にも変化はなかった。このように旧三菱重工業株式会社の解散は手続的形式的なものにすぎず、実態的には解散前と解散後とで何らの変化も生じなかった。かかる状況の下では、第二会社三社は、旧三菱重工業株式会社の原告に対する債務を承継し、第二会社三社の合併により設立された被告会社も、旧三菱重工業株式会社の債務を承継するものといわねばならない。
しかも、被告会社自信も昭和四五年一〇月に「三菱の百年」を、平成四年二月には「三菱重工横浜製作所百年史」と題する出版物を、それぞれ発行したり、会社案内書でも「沿革」の中で明治三年の九十九商会に始まり昭和三九年の被告会社に至る系譜を実線で示したりして、「三菱一〇〇年の歴史」を強調するなど、旧三菱重工業株式会社と被告会社の連続性、一体性を認めている。したがって、被告会社は、旧三菱重工業株式会社が原告に対して負った債務を承継しており、仮に承継しないとしてもそのことを原告に対抗できない。
② 会社経理応急措置法及び企業再建整備法適用要件の不備
会社経理応急措置法及び企業再建整備法上旧勘定に所属するものとされている債務であっても、各法所定の要件、手続を完備することによってこそ旧勘定での処理の合理性、相当性が肯認されるところ、企業再建整備法にいう特別経理株式会社又は第二会社は、指定時以前の原因に基づく債務であっても、これを旧勘定に具体的に計上しない限り、旧勘定で処理することを債権者に主張できないものと解すべきである。
そして、本件における旧三菱重工業株式会社の原告に対する不法行為に基づく損害賠償債務及び未払賃金等の債務は旧勘定に具体的に計上されていないのであるから、旧勘定での処理を主張することはできず、それらの債務は第二会社に承継され、第二会社三社の合併により被告会社が承継したものと言わねばならない。
③ サンフランシスコ講和条約違反
サンフランシスコ講和条約(昭和二七年四月二八日発効)では、四条(a)項により、朝鮮等一定地域の住民の日本国民に対する請求権の問題は、日本と朝鮮等の両当局の特別取極の主題とされ、日本が国内法によりこれを一方的に処理することは許されないことになったが、これはポツダム宣言の受諾により日本が朝鮮等一定地域の住民の日本国民に対する請求権の問題について処理する主権を制限され、日本の国内法で朝鮮等一定地域の住民の日本国民に対する請求権を一方的に処理しても、そのことを朝鮮等一定地域の住民に対抗できないことを明らかにしたものである。そして、原告の旧三菱重工業株式会社に対する前記三2(一)の(原告の主張)に記載した債権との関係で会社経理応急措置法及び企業再建整備法の適用を認めることは、右債権を法律上又は事実上没収することになり、朝鮮住民たる原告の日本の法人に対する請求権を一方的に処理するものであって、サンフランシスコ講和条約の右条項に反することになる。したがって、被告会社は、原告に対し、右会社経理応急措置法及び企業再建整備法による原告の被告会社に対する請求権の処理を対抗できない。
④ 憲法違反
債務の法的整理は、債権者の集団的、私的自治に基礎を置き、かつ債権者個人の権利を不当に侵害しないような要件の下に、司法機関にそのチェックのための関与をさせることによってのみ、その合理性が承認され得る。会社経理応急措置法及び企業再建整備法はこのような規定を全く欠いているから、私有財産制及び適正手続の保障を定めた現行憲法に違反しており、同憲法の発効によりその効力を失った。
(2) 「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」(昭和四〇年法律第一四四号。以下、「財産権措置法」という。)の適用の可否
(被告会社の主張)
日韓両国の間においては、昭和四〇年六月二二日に「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(以下、「日韓請求権協定」という。)が締結され(同年一二月一八日発効)、その二条二項で「この条の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執つた特別の措置の対象となつたものを除く。)に影響を及ぼすものではない。(a)一方の締約国の国民で千九百四十七年八月十五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であって千九百四十五年八月十五日以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいつたもの」と規定された上、同条三項により、「2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。」と規定された。その後、日韓請求権協定を受けて財産権措置法が制定され(昭和四〇年一二月一七日公布)、その一項本文及び一号によれば、大韓民国又はその国民(法人を含む。)の日本国又はその国民(法人を含む。)に対する債権であって、日韓請求権協定二条三項に定める財産、権利及び利益に該当するものは、同年六月二二日において消滅したものとされている。
したがって、原告がかつては被告会社に対し不法行為に基づく損害賠償請求権及び未払賃金等の支払請求権を有していたとしても、それらの請求権は、一九四七年八月一五日以前に発生した大韓民国国民の日本の法人に対する債権であり、日韓請求権協定二条三項に定める権利に該当するから、財産権措置法一条一項により、昭和四〇年六月二二日に消滅している。
(原告の主張)
① 憲法二九条違反
まず、日韓請求権協定二条三項の「いかなる主張もすることができない」とは、単に日韓両国が自国の国民に対する外交保護権を行使しないという意味にとどまり、両国の国民個人が権利を主張することまでも制限するものではなく、同協定によっても両国国民の個人の請求権は依然として消滅していない。
また、日韓請求権協定では、日本が大韓民国に対し三億ドルの無償供与及び二億ドルの長期低利貸付けを行うことが定められたが、「供与及び貸付けは、大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない。」とされており、これら無償供与及び貸付けは、単なる経済協力にすぎず、大韓民国国民個人に対する補償金ではないのであって、財産権措置法による大韓民国国民の請求権の消滅とは、何らの関連性もない。
しかるに財産権措置法は、正当な補償のないまま一方的に大韓民国国民の請求権を消滅させることを定めたものであって、財産権の保障を定めた憲法二九条に違反し、無効である。
② 憲法一四条違反等
日韓基本条約は、大韓民国政府を「朝鮮にある唯一の合法的な政府」としているから、大韓民国政府との間で締結された日韓請求権協定及び同協定を受けて制定された財産権措置法による権利の消滅措置は、朝鮮民主主義人民共和国及びその国民にも適用されるものと解されるところ、かかる事態は、朝鮮民主主義人民共和国及びその国民が何ら関与することなく、その請求権を一方的に消滅させるものであって極めて不当である。
仮に、財産権措置法による権利の消滅措置を大韓民国及びその国民の権利のみの消滅を定めたものとして有効とすると、財産権措置法は、大韓民国とその国民を朝鮮民主主義人民共和国及びその国民はもとよりその他の諸国及びその国民と差別して扱っていることになるから、法の下の平等を定めた憲法一四条に違反し、無効である。
③ 重大な国際法違反
朝鮮人が受けた強制連行、強制労働の実態は奴隷労働であり、かかる行為は人道に対する罪にあたる上強制労働ニ関スル条約(昭和七年条約第一〇号)に違反し、奴隷からの自由の侵害にもなる重大な人権侵害である。
条約法に関するウィーン条約(昭和五六年条約第一七号)五三条では「締結の時に一般国際法の強行規範に抵触する条約は、無効である。」と定められ、重大な国際法違反の措置に対してはその効力が否定されることのあることが国際法上認められているところ、右のように重大な人権侵害行為についての損害賠償請求権等の請求権を、日本が何らの謝罪も補償もしないまま財産権措置法の制定により一方的に消滅させてしまうことは、極めて非道義的な措置であって、国際法上の公序良俗に違反し、重大な国際法違反であるから、財産権措置法は無効である。
④ 前提となる基本条約の無効
財産権措置法は、日韓請求権協定を受けて制定されたものであり、日韓請求権協定は、同協定と共に締結された「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(昭和四〇年条約第二五号。以下、「日韓基本条約」という。)の内容を前提に締結されたものであって、財産権措置法、日韓請求権協定及び日韓基本条約の三者は一連・一体のものであるところ、日韓基本条約は、韓国併合に至る日韓両国間の一連の条約類が合法かつ有効であることを前提とし、かつ大韓民国が朝鮮半島における唯一の合法的政府であるという確認の下に締結されたものである。
しかるに、韓国併合に至る日韓両国間の一連の条約類は、日本が軍事力を背景とした威迫、恐喝や懐柔、欺瞞の手法によって大韓帝国に対し、その締結を強要した結果成立し、あるいは当時専制君主国家であった大韓帝国において条約締結権を有していたのは皇帝であったのに、その裁可等がないままに終わったものである。また、日韓基本条約締結以前から今日に至るまで朝鮮半島は南北に分断され、北には朝鮮民主主義人民共和国が存立しているのは明白な事実である。
このように、日韓基本条約は意図的な事実誤認又は事実否定の下に締結された不当な条約であるから無効であり、日韓基本条約の内容を前提に締結された日韓請求権協定及び同協定を受けて制定された財産権措置法も無効となる。
(3) 商法二六条一項の責任
(原告の主張)
旧三菱重工業株式会社は、一時期第二会社三社に分割されたものの、客観的には、同一の人的、物的存在として継続し被告会社となったものと認識されており、そうした中で被告会社は第二会社三社の合併の当初から旧三菱重工業株式会社と同一の商号に復帰し、これを続用しているのであるから、商法二六条一項により、被告会社には、旧三菱重工業株式会社が原告に対して負った債務を弁済する責任がある。
(被告会社の責任)
被告会社の前身である第二会社三社は、旧三菱重工業株式会社の商号を続用していないのであるから、商法二六条一項の要件を欠く。
3 被告国の不法行為責任の有無
(原告の主張)
前記三1(一)の(原告の主張)(1)ないし(3)において主張のとおり、釜山府尹は、原告に対し徴用令書を発しており、これを拒否するために逃亡、潜伏した原告に対し、被告国の官吏である南川里の派出所警察官と朝鮮人の高等係刑事が、徴用に応じなければ家族に対する配給を停止すると脅して原告の徴用を間接的に強制し、原告を軍用輸送列車に乗せて、釜山に連行しており、さらに、旧三菱重工業株式会社が原告を平戸小屋寮に収容していた期間、被告国の海軍兵は逃走防止、自由行動規制のための看守活動に従事し、同社の行った収容、徴用労働を幇助していたのであり、これら被告国の被用者である公務員による不法行為により、また、原子爆弾投下後、原告を放置し、何らの保護的措置もとらなかったという不法行為により、被告国は、被告会社とともに、民法七〇九条、七一五条、七一九条に基づき、前記三1(一)の(原告の主張)(3)記載の船賃及び同(4)記載の精神的損害について、損害賠償責任を負う。
(被告国の主張)
国家賠償法(昭和二二年法律第一二五号。同年一〇月二七日施行)附則六項は、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」と規定し、同法の遡及効を否定している。そして、原告主張の被告国の被用者たる公務員による行為はいずれも国家賠償法の制定前の大日本帝国憲法(以下、「旧憲法」という。)下での行為であり、また、それらの行為は、例えば、国民徴用令に基づく原告に対する徴用令書の発付は規制行政における命令であり、その行為によって直接国民の権利、義務を形成し、又はその範囲を確定する行為であるから、又、公務員が原告を連行し徴用期間中監視した行為は国民徴用令に基づく徴用の実行行為であり、国家による実力行使であるから、いずれも相手方が国民の地位を有すると否とにかかわらず、その性質上国の権力作用の発現であると解される。しかるに、旧憲法下においては、行政裁判法(明治二三年法律第四八号)一六条が「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と規定しており、行政裁判所へ国家賠償請求訴訟を提起する途はなかったのであり、また、旧民法の制定の際に、国の権力作用については民法に基づく国家責任が否定され、司法裁判所に国家賠償請求訴訟を提起する途も否定されたのであって、行政裁判法及び旧民法が公布された明治二三年に、権力作用については、国は損害賠償責任を負わないという法政策が確立しており、大審院の判例上も、国の権力作用によって違法に国民の権利を侵害しても国に対して私法上の不法行為責任に関する規定の適用はないものとされていた(国家無答責論)。したがって、本件においても、原告主張の公務員の不法行為について、国に対して民法上の不法行為責任を問うことはできない。
(被告国の主張に対する原告の反論)
(一) そもそも、徴用は、本来、私経済活動として、労働市場を通じて行われる求人、求職活動に代えて、行政が行政機構を通じて、労働者を発見、掌握し、私企業に配転する行政作用であるから、私有財産制、資本主義経済体制をとる旧憲法下では、本来は私人が行う経済活動の一環であり、国家だけが独占的、優越的に行う国家作用ではないから、本来的に非権力作用であり、特に、国民徴用令では、徴用により人員の配置を必要とした個々の企業が厚生大臣(朝鮮半島にあっては朝鮮総督)に対し徴用を請求又は申請するものとされていた上、国民徴用令による徴用制度は、前記三2(一)の(原告の主張)(1)に記載のとおり、当時労働力の不足に悩んでいた民間企業の労働力調達に政府が協力、援助するため民間企業の主導の下に行われた労働統制制度であって、その本質は経済作用にすぎず、権力作用に当たらない。確かに、徴用は一方的命令であり、それに応ずることが義務的とされるものの、それは自己決定、私的自治を否定する意味でしかなく、そのことによって徴用が権力作用に変わるわけではないし、徴用令違反を威嚇、防止する手段として刑罰を採用しているものの、そのことによっても徴用が権力作用に変わるわけではない。
しかも、国民徴用令上は、徴用令が発せられた場合であっても、その忌避者に対しては、刑罰を科すことができるだけであって、徴用令を直接執行する手段はなかったのに、原告は、徴用を忌避して隠れていたところを、警察官らによって暴力、脅迫等の直接的な強制手段で連行され、労働に従事させられたものであって、このような徴用は、国民徴用令等の徴用関連の法令に照らしても違法であった。仮に一般には国民徴用令に基づく徴用が国の権力作用であるとしても、このようにして行われた違法な徴用は、もはや国の権力作用にあたらない。
そして、旧憲法下においても、非権力作用によって国が国民の権利を違法に侵害した場合には国が民法上の不法行為責任を負うものとされていたから、結局本件は国家無答責論の適用がある場面ではない。
(二) 仮に原告に対する徴用が国の権力作用の発現であるとしても、国家賠償法施行前において、権力作用により国が国民の権利を侵害した場合でも国は責任を負わないとする旨の明文の規定はなく、国の責任の有無はもっぱら解釈に委ねられていたのであり、国家賠償法附則六項の「なお従前の例による」とは、同法施行前の国家責任の有無については、従前どおり解釈に委ねるという趣旨である。そして、国家無答責論については、その伝統的根拠として、法を形成する主権体、法制定権、最高権力が法的拘束を受けるのは矛盾であるという「主権無責任の法理」や、国王、法は悪を授権し得ないから、法規に反する公務員の行為は国家の行為とはならないという考え方が挙げられている。しかし、前者については、そもそも、近代法治国家の制度は、国家権力が法によって羈束された制度であり、国家権力の無制約性、特権性を否定したところに成立しているのであり、かかる制度の下では、「主権無責任の法理」は妥当し得ず、旧憲法下における日本も、近代法治国家の原則を採用した法治国家である以上、同法理を根拠とする国家無答責論も成り立ち得ない。後者についても、国家が悪を授権し得ないことと、授権された公務員の行動から悪が発生した場合に国家が賠償責任を負うこととは法理論的に矛盾せず、国家無答責論の根拠とはなり得ない。
また、旧憲法の下では、判例、学説は、国家の作用の中でも、非権力作用には、私法たる民法上の不法行為責任に関する規定の適用を肯定しつつ、権力作用については、公法への私法・私法原理の適用を否定し、違法な権力作用にも民法上の不法行為に関する規定は適用されず、他に公法上、不法行為責任に関する規定がないことを理由に国家の責任を否定するものが多かった。しかし、そのような判例等は、専ら公法と私法の区別を根拠にしているところ、そのよって立つ公法私法峻別論は、ドグマに過ぎない。そもそも、公法と私法を区別する意義は、それぞれに異なった法原則が存在するからであるところ、不法行為法は、私的自治の枠外であり、事実的支配関係の中で発生する権利侵害に対して、正義と公平の原則によって、加害者に損害を賠償させる法であり、公法も、正義と公平を法原則とするのであるから、両者は、法の理念、原則を共通にするものであり、公法、私法峻別論は、不法行為責任の場面において、妥当するものではない。また、右判例等の考え方のように、権力作用か否かによって民法上の不法行為責任に関する規定の適用の有無を区別することには、何らの合理性もなく、基準としてもあいまいである。さらに、違法な権力作用によって他人の権利が侵害された場合、権力作用自体は公法関係の枠内にあるとしても、「違法な」「権利の侵害」は公法関係の枠外にはみ出しており、特別の規定がない限り、公法の特殊原則は及ばず、私人相互間における損害賠償の関係と同様に私法的規律に服するものというべきである。その他、公法上、不法行為責任に関する規定がない点については、裁判所は規定の不存在を理由に判断を回避することは許されず、条理を含む法源を発見し、それにもとづいて審判するのがその職責だといわねばならない。このように、国家無答責論は、もともと何ら合理性のない解釈、判例理論に過ぎないものであり、旧憲法下においても、国家無答責論に立たない判例や学説が存在した。国家無答責論を採用した判例は、現行憲法九八条により、先例的価値を失っており、現行憲法下においてかかる解釈を踏襲することは許されず、国の権力作用の発現たる公務員の行為に対しても民法上の不法行為責任に関する規定の適用が認められるべきである。
第三 当裁判所の判断
一 原告が受けた徴用の実態及び被爆後被告らによりとられた措置と未払賃金等
1 まず、証拠(各認定事実についての証拠をかっこ中に記載。以下、同様。)によれば以下の事実が認められる。
(一) 平戸小屋寮へ連行されるまで(原告本人尋問の結果)
昭和一九年一二月下旬、原告の下に徴用令書が届けられたが、原告は、家計を支える自分が徴用に出た場合に残される家族のことが心配で、徴用を逃れようと考え、当時住んでいた所から四〇キロメートルほど離れた自分の母親(以下、単に「母親」という。)の実家へ行って潜んでいた。しかし、数日後、一人の日本人巡査(以下、この日本人巡査を単に「巡査」という。)が原告の下にやってきた。これは、原告が徴用令書に指定された予備招集の日に出頭しなかったため、巡査が、母親のところへ行き、徴用令書を受け取りながら逃げた場合には一切の生活必需品が配給されない旨述べて脅し、母親に原告の潜伏先まで案内させたものであった。
原告は、巡査から徴用に応じなかった場合に受ける不利益を聞かされ、また、この期に及んで反抗しても叩かれるだけで効果がないものと思って観念し、巡査に従った。原告は、そのまま軍用輸送列車に乗せられ、釜山の関釜連絡船が出る埠頭の近くの旅館まで連行された。旅館に到着するや原告は、まず、巡査から原告を引き取った人物から殴る、蹴るの暴行を受けた上、当時伸ばしていた髪をバリカンで丸坊主刈りにされ、その晩は夕食を与えられることもなく、一夜を過ごした。その旅館には、原告の他にも被徴用者が集められていたが、その全員が丸坊主姿であり、また、旅館内外に逃亡防止のための監視役がいた。
原告は、翌朝六時ころ起こされ、他の被徴用者と共に関釜連絡船に乗せられ、その翌朝、下関まで連行された。そして、行き先も教えられないまま今度は被徴用者ばかりが乗っていた汽車に乗せられ、長崎へ連行されたが、その際汽車の両方の入口には監視役が立ち、窓のカーテンは全部おろされていた。長崎の駅には三菱マークのついた帽子をかぶった人物たち(以下、「三菱職員」という。)が待っており、原告ら被徴用者は、その場で初めて造船所で働くことを聞かされ、三菱職員の監視の下、平戸小屋寮まで行進させられた。
(二) 平戸小屋寮における生活
(甲第二五号証、第三四、三五号証、乙イ第一八号証の一ないし六、第一九号証の四、七、八、一一ないし一三、一五、一七ないし二一及び原告本人尋問の結果)
平戸小屋寮は、市内を一望することのできる小高い丘にあり、周囲を太い丸竹で作られた竹垣で囲まれていた。寮長の他、三棟の各宿舎に日本人中隊長が置かれた上、正門には詰所があって海軍の兵員が二四時間体制で監視を続け、裏にあった通用門も監視されており、昭和二〇年五月ころから逃亡する徴用工が頻繁に出始めたが、逃亡した徴用工に対しては捜索が行われ、発見されると連れ戻され、暴行が加えられることもあった。もっとも、私用での外出が全面的に禁止されていたわけではなく、寮生全員で枇杷狩りに行ったほか、原告は、繁華街に行ったり、写真館で写真を撮ったり、時計店で時計の修理を依頼したり、買物をしたり、神社に参拝に行ったりしたほか、映画館で映画を見たこともあった。しかし、朝鮮からの徴用工の外出は許可制であったため、外出が許されないこともあった上、一般に単独で外出することは許されず、右のような原告の外出も、逃亡した朝鮮人徴用工の捜索のため、日本人班長に付添って行く場合が多かった。また、徴用工八人ないし一〇人が一部屋に入れられ、同村の出身者は各部屋に分散された。原告は特段狭いとは感じなかったものの、一人当たりの部屋のスペースは、一畳半程度であった。寮費として月額八円八〇銭が徴収されたが、朝夕に出される食事は十分でなかったために、原告は実家から仕送りを受けた金で別に食べ物を買って食べざるを得ず、徴用工の中には栄養失調になったり赤痢にかかったりする者もいた。
(三) 作業現場における労働の実態
(甲第三四、三五号証、乙イ第一八号証の一、二、四ないし六、第一九号証の六、一〇、一一、一八及び原告本人尋問の結果)
旧三菱重工業株式会社の長崎造船所において、原告は、造船工作部輔工係水上遊撃班に配属され、団平船上でクレーンを使った資材の積降ろし、運搬、配送等の労働に従事した。作業現場までは平戸小屋寮の日本人班長に連れて行かれた。就業時間は他の日本人作業員と同様で、午前七時ころから仕事を始め、残業がなければ午後六時前後に平戸小屋寮に帰ったが、午後九時三〇分ころまで残業することもあった。不定期で休日があったほか、昼休みや仕事の性質上の手の空いている時間もあり、その間手紙を書いたり、昼寝をしたり、下駄の鼻緒を作ったりすることもあったが、反面、仕事の内容は危険なものであり、作業中に死亡した徴用工もいたほか、原告自身も海に転落したことがあった。原告は、このような環境の中で、時には休むこともあったが、同年八月九日まで連日同様に働き続けた。
(四) 原子爆弾の投下後にとられた措置及び原告の行動等(乙イ第一八号証の七、第一九号証の二四及び原告本人尋問の結果)
昭和二〇年八月九日、原告は、空襲警戒警報が鳴ったものの、いつものように朝から出勤し、団平船上での作業に従事した。ところが、轟音が聞こえ、B29爆撃機が迫ってくるのが見えたため、慌てて避難を始め、岸壁を上がり、そこに建っていた食堂の裏の下水溝に身を隠したところで、原子爆弾の投下に遭い、しばらく気絶した。原告はその後意識を取り戻し、一旦平戸小屋寮に戻ったが、寮長から各自ふとんをかついで福田寮に行くようにとの指示があり、これに従って他の生存者らと共に山を越えて福田寮に入った。翌日、原告は密かに平戸小屋寮に戻り、同僚の防空壕に隠してあった自分の衣服等の荷物をまとめて持ち出し、しばらく造船所の近くの防空壕に身を潜めた後、汽車を乗り継いで長崎を脱出し、下関に行き、同月一七日、所持金の中から七〇円を払って船に乗り、同月一九日に釜山に帰り着いた。
2 未払賃金の有無(甲第三四、三五号証及び原告本人尋問の結果)
(一)(1) まず、甲第三四号証には、賃金等について次のような記載がある(なお、二月二八日欄との関係では、以下の記載のほか、同記載に続く頁に、同記載と同内容の記載とともに、「現金渡30.00」との記載がある。)。
(二月二八日欄)
俸給日
一、二月分俸給受領ス
賃料高 87.27
加給金 7.99
精勤(以下判読不能) 4.35
家族手当 15.00
皆勤賞与 1.71
健康保険 1.05
退職(以下判読不能) 3.85
立替金 1.00
下宿寮ヒ 8.30
国体会ヒ 34
国民貯蓄 71.28
(三月二八日欄)
俸給日
三月分総収入金七七、三〇也
(四月二八日欄)
給料日
(六月二八日欄)
給料日
(七月一一日欄)
夜は、国民貯金払下願書に捺印証認する
(七月二五日欄)
寮に於て国民貯金払下金額より各人毎に二十円支給す
(七月二八日欄)
俸給日
俸給日ナルも都合ニより支給セズ
(七月三一日欄)
夕食後は班長室に於て各分隊長集合し徴用延期に関し、座談会を催す 主題 1自由外出 2賃料の全払 3内地応徴者企業の待遇 4出退時の引率廃止
また、甲第三四号証には、このほか、作業現場での労働内容や、残業をした場合にはその旨、休日や休憩時に行ったこと、さらには、たばこや酒等の配給の内容及びその額、友人らとの間でやり取りした小銭やたばこ等の額、外食に使った金額までもが記載されている。
ところで、甲第三四号証は、原告の生薬統制組合勤務時代の出張日記であり、原告が何気なくポケットに入れていたところ徴用になったため、そのまま持ってきたものであり、原告はいつも日記を書く習慣があって、昭和二〇年二月一二日からこれに日記をつけ始めた。原告は、これを畳の中に隠しておいて、作業現場から帰ってきた後、小さな電球の下で日記をつけたが、他の徴用工は日本語の字が分からない人が多く、よく手紙の代筆を頼まれたから、日記を付けていても友達の手紙の代筆をしていると思われていたらしく、怪しまれることはなかった。(乙イ第一九号証の六及び原告本人尋問の結果)
以上の事実によると、甲第三四号証は、原告が毎日仕事が終わってから、その日にあったことを書き止めたものと認められ、その記載は一応信用できるものであり、特に金銭等の出入りに関する事実については詳細な記載がなされていることからすれば、賃金等に関する記載も信用性が高いものと認められる。
(2) このような信用性の認められる甲第三四号証の前記各記載に証人小野治の証言及び原告本人尋問の結果を併せ考慮すると、原告は、同年二月二八日に、同年一、二月分の俸給を併せて受け取ったが、その内訳は、賃金八七円二七銭、加給金七円九九銭、精勤手当四円三五銭、家族手当一五円、皆勤賞与一円七一銭で、そこから健康保険の保険料一円五銭、退職積立金三円八五銭、立替金一円、下宿寮費八円八〇銭、国体会費三四銭を控除されたほか、国民貯蓄の名目でも七一円二八銭を控除され、結局、現金三〇円を実際に支給されたこと、同年七月二五日には国民貯蓄の中から二〇円の払下げを受けたこと、同年三月分(総収入金額は七七円三〇銭)から同年六月分までの俸給については現実に手渡された否かは定かではないものの、少なくとも同年七月分の俸給は、同月二八日の俸給日には手渡されず、その後も手渡されなかったことが認められる。
なお、国体会費については、甲第三四号証では、前示のとおり、「34」と記載されており、他の賃料高等の金額の記載が、小数点以上について円を、小数点以下について銭を単位としていることとの対比からすると、国体会費についても、三四円であると解されなくもない。しかし、そのように解した場合、賃料、諸手当の積極収入の合計額と諸控除項目額及び現金受領額の合計額とに食い違いが生じるのに対し、三四銭と解すると、両合計額が一致し収支計算が合うことからして、甲第三四号証の国体会費の記載については、「0.34」と記載すべきところを「34」と記載したもので、その額は、三四銭であると認められる。
(3) そして、原告の同年一、二月分の基本賃金、加給金、精勤手当、家族手当、皆勤賞与の収入合計額から国民貯蓄及び立替金を除く各控除項目(健康保険、退職積立金、下宿寮費、国体会費)の合計額を控除した残額は七二円二八銭であったことや同年三月分の総収入金額は七七円三〇銭とされていたことからすれば、諸手当を含み国民貯蓄以外の控除をした後の俸給は、通常の労働をした場合、一か月あたり、三六円一四銭を下らないものと認められるところ、同年七月二八日の俸給の対象となったとみられる同年六月ないし同年七月の労働の状況は、それまでと同様であり、その後も同年八月九日まで同様に労働に従事していたことからすれば、同年七月二八日に原告が受け取るべきであった俸給(諸手当を含み、国民貯蓄以外の控除をした後の額)及び同日以降の労働の対価として受け取るべき俸給(右同)は、五〇円を下らないものと認められる。
乙イ第一八号証の五及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、旧三菱重工業株式会社から、同年六月一四日、賞与として、二〇円を受領していることが認められるが、この事実は、前記認定を妨げるものではない。
なお、原告は、昭和二〇年三月一七日に支給されるはずの半島応徴工赴任手当二一円五〇銭及び日当一円五〇銭の合計二三円も、全額が国民貯蓄名目で控除され、実際には手渡されなかった旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。
(4) ところで、これら未払賃金等に対しては、昭和二三年、政府により供託すべきとの指導がなされ、一応旧三菱重工業株式会社もこれに従ったことが認められる(証人小野治の証言)が、こと原告に対する未払賃金及び国民貯蓄の払戻分の供託については、供託書等供託の事実を示す書類がなく、他に供託の事実を認めるに足りる証拠もない。
二 被告会社の責任
1 旧三菱重工業株式会社の責任
(一) 以上の認定事実を前提にし、以下では、まず、旧三菱重工業株式会社がいかなる責任を負うかについて、検討する。
原告を含む朝鮮人の徴用は、国家総動員法に基づき制定された国民徴用令に基づくものであるが、本件訴訟において、原告は、国家総動員法の合憲性、国民徴用令の合憲性、合法性それ自体は明らかには争っておらず(平成九年七月二二日の第一八回口頭弁論期日において陳述された同日付原告最終準備書面第一の三2及び同二の前文参照。)、当裁判所においても、その妥当性はさておき、当時の憲法、諸法令に照らし、その合憲性、合法性を否定する理由は見い出し得ない。したがって、国民徴用令に基づく原告の本件徴用も、同令に定められた手続に則り実施される限り、合憲性、合法性を有する法令に基づくものとして、それ自体違法性を問題にする余地はないものといわねばならない。
この点、原告は、民間企業やその連合体である統制会等が国民徴用令の制定や同令の朝鮮住民への発動に関し、政府に積極的に働きかけたものであり、また、徴用の実施は、国民徴用令上、民間企業が厚生大臣に対し徴用を請求又は申請することを前提にしており、旧三菱重工業株式会社を含む民間企業にも朝鮮人徴用についての責任がある旨主張するが、前示のとおり、国民徴用令自体が合憲、合法なものである以上、仮にその主張のとおり、民間企業等が同令の制定、朝鮮住民へのその発動に積極的に関与していることが認められるとしても、また、徴用に関し、民間企業の請求又は申請があったとしても、そのことについて、違法なものとして、民間企業が直ちに不法行為責任を負うものと解することはできない。
(二) そこで、以下では、原告の徴用において、国民徴用令の規定、手続から逸脱した行為がなかったかについて検討することとする。
まず、被徴用者を軟禁状態にして、徴用先まで連行することは国民徴用令上も認められておらず、そのような行為は違法なものと評価されるところ、原告は、五人の旧三菱重工業株式会社の関係者が、釜山から長崎まで、原告ら被徴用者の逃亡を防止するため、被徴用者が船の船室や汽車の車両から外に出ないよう常時見張りをするなどして連行した旨主張する。
しかし、原告本人尋問の結果によっても、原告が釜山から長崎へ連行された際、監視についていた人物の中に旧三菱重工業株式会社の職員がいたかどうかは定かではなく、また、甲第三二号証の二によれば、造船統制会は、同会の会員に対し、昭和一九年一二月一七日付の「朝鮮人移入取扱要領」を送付しており、同要領中には、「朝鮮人釜山駅着ト同時ニ朝鮮人側ヨリ之ガ引渡ヲ了シ、以後工場側ノ責任ニ於テ内地ニ連行スルコト」と記載されていることが認められ、朝鮮総督府及びその下部機関と関係企業との連繋が窺われるものの、この事実によっても原告主張の事実までは認められず、他に原告主張を認めるに足りる証拠はない。
次に、旧三菱重工業株式会社は、原告らが長崎へ連行された後、前記一1(二)認定のとおり、一方的に原告らを平戸小屋寮へ同行した上、寮費を徴収しながら十分な食事を支給せず、徴用工の中には栄養失調になったり赤痢にかかる者も出るなどの不当な環境の中に置いているが、当時は敗戦が迫り、戦争の影響で全国的に食料不足、衛生不良の状態にあったのであり、原告を右のような環境に置いたことを直ちに違法なものとまでは言い難いが、同時に同社は、前記一1(三)認定のとおり、原告らを寮長以下の監視体制の下で半ば軟禁に近い状態にして、労働に従事させていたものであるところ、かかる行為は国民徴用令に基づく徴用でも許容されない違法なものであったといわざるを得ず、その限りで旧三菱重工業株式会社には不法行為責任があり、その額はさておき、それによって被った原告の精神的損害について、同社は不法行為に基づく損害賠償責任を負う。
(三) なお、朝鮮半島への帰還費用については、前記一1(四)認定のとおり、原告が所持金の中から七〇円を支出した事実は認められるものの、原爆投下後、平戸小屋寮に戻って来た徴用工に対しては、寮長が布団を持って福田寮に行くことを指示しており、原告も一旦はこの指示に従って福田寮に移動したものの、翌朝平戸小屋寮に戻って手荷物を持ち出し、その後機を見て長崎を脱出し、下関から釜山へ渡ったというのであって、旧三菱重工業株式会社が原告を放置、遺棄したために、原告がやむなく自費で七〇円を支払って朝鮮半島へ帰ったとの事実は認められない。したがって、朝鮮半島への帰還費用については、旧三菱重工業株式会社に不法行為責任はない。
(四) 以上のほか、旧三菱重工業株式会社は、前記一2認定の未払賃金五〇円について、支払債務を負う。
2 被告会社による債務の承継
次に、右認定のような旧三菱重工業株式会社の債務を被告会社は承継することになるかについて検討する。
(一) 会社経理応急措置法及び企業再建整備法の適用の可否
(1) 旧三菱重工業株式会社と被告会社との間の法的関係等
前記前提事実における認定のとおり、旧三菱重工業株式会社は、会社経理応急措置法上の特別経理会社に該当したが、かかる場合、会社は、指定時(同法一条一号により、昭和二一年八月一一日午前零時を指す。)において、新勘定と旧勘定を設けることとされ(同法七条一項)、財産目録上の動産、不動産、債権その他の財産については、「会社の目的たる現に行つてえる事業の継続及び戦後産業の回復振興に必要なもの」に限り、指定時において、新勘定に所属するものとされ、それ以外は、原則として、指定時において、旧勘定に所属するものとされた(同法七条二項)。また、特別経理会社は、指定時後の原因に基づいて生じた収入及び支出を新勘定の収入及び支出として、指定時以前の原因に基づいて生じた収入及び支出を旧勘定の収入及び支出として経理しなければならないものとされた(同法一一条一項、二項)。同法七条の規定は、直接には積極財産の処理を規定し、同法一一条一項、二項も収入及び支出について規定したにすぎず、同法上指定時以前の原因に基づき既に発生している債務の取扱いについては明示的に触れられてはいないが、そもそも同法の目的が戦時補償の打切りに伴う企業の影響を局限して民需生産の継続に支障がないようにするとともに、戦時補償打切りに伴う損失を合理的に処理する前段階としてこれに必要な措置を立てることにあったものと解される上、同法の規定上も、指定時以前の原因に基づいて生じた特別経理会社に対する債権を「旧債権」と表現しており(一二条)、旧勘定に属するものであることを当然の前提とするかのような規定ぶりをしていることからすると、指定時以前の原因に基づき既に発生していた特別経理会社の債務は、すべて旧勘定に所属することとなったものと解される。旧三菱重工業株式会社も、このような解釈に沿う特別経理会社の昭和二一年八月一〇日現在の貸借対照表を作成している(乙イ第七号証の二)。したがって、同社の原告に対する不法行為に基づく損害賠償債務及び未払賃金の支払債務はすべて旧勘定に所属することとなった。
そして、前述のように、第二会社三社は、企業再建整備法上の特別経理株式会社である旧三菱重工業株式会社の新勘定に所属することとなった資産の出資を受けて設立されたものであるところ、かかる場合、その出資を受けて設立された会社は、指定時後特別経理株式会社の新勘定の負担となった債務を承継するにすぎない(同法一〇条一項)。そもそも、企業再建整備法の目的は、戦時補償の打切り等によって企業が直接間接に被る影響を合理的かつ円滑に処理し、経済界の不測の混乱を防止するとともに、その機会に過去の損失を一切整理し、企業の急速な再建整備を促進することにあったものと解される。したがって、その法の目的に従って設立された第二会社は、従来の特別経理株式会社とは別個独立の会社であって、ただ同法は、特に一〇条の規定によって、特別経理株式会社が新勘定に所属する資産の全部又は一部を出資する場合においてはその債権者を保護する必要上、右のとおり、第二会社は指定時後特別経理株式会社の新勘定の負担となった債務を承継する旨法定したものであり、これにより、特別経理株式会社の一切の権利義務を当然包括的に承継せしめた趣旨とは解されない。他に、第二会社が特別経理株式会社の権利義務を包括的に承継する旨を定めた法律上の規定もなく、第二会社が自ら明示又は黙示の意思表示をした場合にはじめて、特別経理株式会社の権利義務を承継するものといわねばならない。そして、企業再建整備法施行規則(昭和二一年商工、大蔵、司法、農林、運輸、厚生省令第一号)七条一項七号リにより、整備計画には、第二会社が旧債権を承継する場合は、その債務の額、条件等を記載することが要求されているところ、旧三菱重工業株式会社が主務大臣に提出した整備計画認可申請書には、右リの項目について、「該当なし」と記載されており(乙イ第一五号証の三)、同申請書は、前記前提事実において認定のとおり、そのまま認可されている。また、第二会社三社の設立及び旧三菱重工業株式会社の解散に当たっては、これらの会社は、取引先に対し、連名で第二会社三社が旧三菱重工業株式会社の旧勘定に所属した債権債務を承継しない旨通知している(乙イ第一六号証の一ないし三)。このように、本件において、第二会社三社が旧三菱重工業株式会社の債務を承継する旨の明示又は黙示の意思表示をした事実は認められない。結局、第二会社三社は旧三菱重工業株式会社の原告に対する不法行為に基づく損害賠償債務及び未払賃金の支払債務を承継せず、したがって第二会社三社が合併して設立された被告会社には、旧三菱重工業株式会社の原告に対する右債務は承継されない。
ところで、第二会社三社は、旧三菱重工業株式会社から現物出資を受けて設立されたものである上、同社の従業員の雇用関係は第二会社三社にそのまま引き継がれたものであること及び第二会社三社の初代社長はいずれも旧三菱重工業株式会社の常務取締役であったことは、前記前提事実において既に認定したとおりであって、旧三菱重工業株式会社と第二会社三社とはその人的・物的内容において連続性を有するといえる。しかしながら、特別経理株式会社が新勘定に所属する資産の全部を出資した場合であっても、第二会社は特別経理株式会社の旧勘定の所属となった債務を承継しないことは前示のとおりであり、しかも第二会社が設立される場合には特別経理株式会社から経営者や従業員がそのまま第二会社に引き継がれることは少なくなく、かかる事情をもって第二会社が特別経理株式会社の旧勘定に所属した債務をも承継するとすることは、かえって同法の趣旨に反する。右事実も前記認定を妨げるものではない。なお、被告会社がその出版物等の中で旧三菱重工業株式会社との連続性を認める記述をしているからといって、それが法的な連続性、一体性を自認するものでないことは明らかであって、かかる事実は、被告会社が旧三菱重工業株式会社の債務を承継することの理由とはなり得ない。
(2) 会社経理応急措置法及び企業再建整備法適用要件具備の有無
旧三菱重工業株式会社の原告に対する債務のうち、未払賃金の支払債務についてはともかく、不法行為による損害賠償債務については、その性質上旧勘定に具体的な計上がなされていないことは明らかである。
しかしながら、前述のように、そもそも特別経理会社について指定時以前の原因によって生じた債務はすべて旧勘定に所属するのであって、旧勘定への具体的な計上がなされて初めて旧勘定への所属の合理性、相当性が肯認されるといったものではない。会社経理応急措置法の規定上も、特別経理会社は、同法施行後、遅滞なく指定時現在における財産目録、貸借対照表、動産、不動産、債権その他の財産及び債務に関する明細書並びに指定時を含む事業年度開始の日から指定時に至るまでの損益計算書を作成しなければならないものとされた(同法五条)上、新勘定旧勘定毎に会社財産の明細書を作成し、命令の定めるところにより、特別管理人の承認を受けなければならず(同法八条一項)、さらに、特別管理人の承認を受けた旧勘定に所属する会社財産の明細書は、特別管理人の承認を受けた日から二週間以内に、公証人の認証を受けなければならないとされている(同条二項)ものの、認証を受けなかった場合の効果については、特別管理人が行う新勘定に所属せしめる会社財産の範囲の決定を無効とする(同条四項)だけであり(なお、同法七条二項により、「会社財産」とは積極財産を指すことが明らかである。)、債務については何ら触れるところがないのであって、このことからも具体的な計上がなければ、債務を旧勘定に所属するものとした扱いが許されないものと解することはできない。
(3) サンフランシスコ講和条約との関係
サンフランシスコ講和条約では、法人を含む日本国民に対する朝鮮等一定地域住民の請求権の処理は、日本国と朝鮮等当該地域当局との間の特別取極の主題とされており(同条約四条)、これは、この問題に対する日本の主権が制限されたことを前提にしたものと解され、日本が一方的にこの問題を処理したとしても、日本は、朝鮮住民に対してはその処理を主張し得ないとも考えられる。
この点、まず、サンフランシスコ講和条約は、昭和二七年四月二八日発効したのに対し、会社経理応急措置法の旧三菱重工業株式会社への適用や企業再建整備法に基づく旧三菱重工業株式会社の整理計画の認可とそれに基づく解散及び第二会社三社の設立は、同条約の発効以前に行われたものである。そして、昭和五六年八月一日に発効したものではあるが、条約法に関するウィーン条約二八条でも、「条約は、別段の意図が条約自体から明らかである場合及びこの意図が他の方法によって確認される場合を除くほか、条約の効力が当事国について生ずる日前に行われた行為、同日前に生じた事実又は同日前に消滅した事態に関し、当該当事国を拘束しない。」として条約の不遡及が規定されており、同規定は、条約の遡及的効力に関する国際法上の一般的解釈を確認したものであると解されるところ、サンフランシスコ講和条約の諸規定によっても、同条約四条に遡及効を認める意図があるかは明らかではない。そこで、右のような同条約の発効時期と本件における会社経理応急措置法及び企業再建整備法の適用時期との時間的前後関係を前提にして、本件に同条約四条が遡及的に適用されることになるのかについて疑問が残るところである(この点に関連して、原告は、既にポツダム宣言の受諾により、日本が朝鮮等一定地域の住民の日本国民に対する請求権の問題について処理する主権を制限されており、それをサンフランシスコ講和条約は明らかにしたものである旨主張するが、ポツダム宣言の文言に照らし、日本が朝鮮等一定地域の住民の日本国民に対する請求権の問題について処理する主権まで直ちに制限されたとまでいえるかにも疑問が残る。)。
しかし、その点はさておき、会社経理応急措置法及び企業再建整備法は、特別経理株式会社に対し、戦時補償の打切りによる影響を遮断するため、指定時以前の原因に基づく債務を旧勘定として区分し、一旦その弁済を禁止して債務を一時凍結した後、一定の基準に従って特別損失額を算定し、さらに一定の経理上の操作を加えた上、これを株主、債権者に負担させて債務を整理することにより企業の再建を図ったものであって、先の第二次世界大戦等によって日本及び日本国民が諸外国及び諸外国国民に与えた損害の賠償債務を免責させることを目的としたものでないことはもとより、朝鮮等一定地域住民の日本及び日本国民に対する請求権の消滅を目的としたものでもない。したがって、かかる処理によって、偶然朝鮮等一定地域住民の請求権が制限、消滅することとなったとしても、サンフランシスコ講和条約に違反するものとまではいえないものと解される。
(4) 憲法との関係
債務の法的整理の制限については、その内容が合理的なものであることが必要であることはもちろんであるが、私的自治に基礎を置くことや司法機関の関与は必要不可欠のものではない。
会社経理応急措置法及び企業再建整備法は、(3)で述べたように、指定時において旧勘定と新勘定を区分し、新勘定には指定時における積極財産のうち、会社の目的たる現に行っている事業の継続及び戦後産業の回復復興に必要なものだけを所属させ、その他の積極財産及び消極財産のすべてを旧勘定に所属させた上、一定の基準に従って特別損失額を算定し、さらに一定の経理上の操作を加えた上、これを株主、債権者に負担させて債務を整理するものであって、株主相互及び債権者相互の間では負担の割合はいずれも平等であるから、かかる債務の整理方法が不合理なものとはいえず、私的自治に基礎を置いていないことや司法機関の関与がないことをもって、憲法の定める私有財産制度や適正手続の要請に違反するものとまではいえない。
(二) 商法二六条一項の責任
商法二六条一項は、営業の譲受人が譲渡人の商号を続用する場合、譲渡人の営業によって生じた債務については譲受人にも弁済の責任があることを定めたものである。しかしながら、旧三菱重工業株式会社の商号と現在の被告会社の商号は同一であるものの、前記前提事実において認定したように、昭和二五年一月一一日に旧三菱重工業株式会社は解散し、同日、中日本重工業株式会社、東日本重工業株式会社、西日本重工業株式会社の第二会社三社が設立され、その後、中日本重工業株式会社は新三菱重工業株式会社に、東日本重工業株式会社は三菱日本重工業株式会社に、西日本重工業株式会社は三菱造船株式会社にそれぞれ商号を変更したものであって、旧三菱重工業株式会社と第二会社三社の各商号は明らかに異なるから、第二会社三社が商法二六条一項の責任を負うことはあり得ず、第二会社三社の合併によって生まれた被告会社の商号が旧三菱重工業株式会社の商号と同一であるからといって、被告会社が商法二六条一項の責任を負うものではない。
3 被告会社の責任についてのまとめ
以上の検討の結果、財産権措置法適用の可否の問題について判断するまでもなく、被告会社は、旧三菱重工業株式会社が原告に対し負担する不法行為に基づく損害賠償債務及び未払賃金の支払債務を承継、負担しない。
なお、前記一2(一)(2)認定のとおり、旧三菱重工業株式会社は、昭和二〇年二月二八日に支払われた賃金から国民貯蓄七一円二八銭を控除しており、これに関しても、同社に何らかの返還債務が発生する余地があるが、仮に発生したとしても、未払賃金同様、被告会社には承継されず、原告の請求は認められない。
三 被告国の不法行為責任
1 前示のとおり、国民徴用令に基づく本件原告の徴用も、同令に定められた手続に則り実施される限り、合憲性、合法性を有する法令に基づくものとして、それ自体違法性を問題にする余地はなく、以下では、まず、被告国との関係で、原告の徴用において、国民徴用令の規定、手続から逸脱した行為がなかったかについて検討する。
国民徴用令等徴用関連の法令上、徴用令書の発付を受けた者がこれに従わない場合にあっても、これを現実に執行する強制手段はなく、単に刑罰による心理的強制の手段が定められていた(国家総動員法三六条一号、四条)にすぎなかったところ、被告国の被用者であった巡査が原告に対して採った徴用の手段は、原告の母親に対する配給の停止をちらつかせた脅しに始まり、原告自身に対する逃亡した場合の不利益の示唆に基づく意に反する連行、監視の下での軍用輸送列車による移送等であり、このような徴用手段は、違法なものであったといわざるを得ず、また、平戸小屋寮では海軍の兵員が原告ら徴用工の監視役を果たしていたから、ここでも公務員が違法行為をしていたことになる。
なお、原爆投下後、原告が所持金の中から七〇円を支出して朝鮮半島へ帰った点に関しては、前述のように、旧三菱重工業株式会社の平戸小屋寮の寮長が福田寮に入るよう指示し、原告も一旦はこれに従ったものの、後日自らの意思で逃亡したものであって、被告国が原告を放置、遺棄したために行ったものではないから、国又は公務員のとった措置について違法を問題とすることはできない。
2 次に、右のような違法行為について、被告国に損害賠償責任を追及できるかについて検討する。
国家賠償法附則六項では、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」として、同法施行前の行為についていわゆる旧法主義を採用している。そして、国家賠償法の施行前においては、一般的に国の賠償責任を認める法令上の根拠はなく、旧憲法下においては、国の公法上の行為のうち権力作用による個人の損害については私法が適用されず、国は責任を負わないといういわゆる国家無答責論が妥当するとされていた。このため、権力作用によって個人の損害が発生したとしても、民法上の不法行為責任に関する規定の適用はなく、国家賠償法のような一般的に国の賠償責任を認めた法律もなかったことから、その損害について国の賠償責任を追及することはできなかった。この結論は大審院が一貫して判示していたところである(大審院昭和四年一〇月二四日判決・法律新聞三〇七三号九頁、同昭和八年四月二八日判決・民集一二巻一一号一〇二五頁、同昭和一三年一二月二三日判決・民集一七巻二四号二六八九頁、同昭和一四年四月二六日判決・法律新聞四四三五号一三頁、同昭和一六年二月二七日判決・民集二〇巻二号一一八頁)。
この点については、当裁判所も、当時の法令の解釈としては右大審院の判示と同様の解釈に立つ(最高裁判所昭和二五年四月一一日第三小法廷判決・民集三号二二五頁、大阪高等裁判所昭和四三年二月二八日判決・訟務月報一四巻五号五二〇頁、東京高等裁判所昭和五七年四月二八日判決・訟務月報二八巻七号一四一一頁参照)。このような法制や国家無答責論については、原告らが指摘するような批判もあったが、旧憲法下においては、行政裁判所においても、「損害要償ノ訴訟」を受理できないものとされ(行政裁判法一六条)、国の賠償責任を肯定すべき根拠法令がなかったのであるから、国家賠償法附則六項の右経過規定に照らせば、現時点における解釈としても、前記認定の公務員の各行為当時においては、民法七〇九条、七一五条の規定によって、国がその権力作用による損害について私人に対して損害賠償責任を負うとの解釈を採用することはできないものといわざるを得ない。原告は、現行憲法九八条によって、国家無答責論を採用した判例は先例としての価値を失った旨主張するが、国家賠償法附則六項の経過規定に照らせば、現行憲法の規定が準拠法になるとは解されず、右主張は採用できない。
3 そして、国民徴用令に基づく徴用は、労働力不足を唱える国内企業の要請に応えるという経済政策的要素もさることながら、戦時における国防というすぐれて国家的目的の達成のために国の全力を最も有効に発揮できるよう人的資源を統制運用するための制度であった(国家総動員法一条参照)上、それまでの「募集方式」や「官斡旋方式」による労働力の調達方法と異なり、少なくとも建前上は企業が直接労働力の調達に関与することを許さず、刑罰による心理的強制力を背景に、国家による一元的な労働力確保を図ったものであるから、単なる経済的活動とは異なる権力的要素の強いものであって、正に権力作用の中核に該当する。
ところで、本件では、前述のとおり国の被用者であった巡査あるいは海軍の兵員が原告に対して採った行為は、徴用関連法令に照らしても違法であったため、このような徴用までもが権力作用といえるかが争われている。この点、権力作用に際して行われた公務員の違法行為であっても、それが公権力の活動の目的達成とは何の関係もなく、外形上も単なる私的な違法行為と評価できるような場合には、その公務員の違法行為は権力作用とは評価し得ないものの、本件において、国の被用者であった巡査らが原告に対して採った行為は、徴用関連法令に照らして違法であるものの、これは徴用という右に見たように権力作用の中核に該当する行為に際し、その目的達成のための手段として客観的に職務執行の延長上にある行為であるから、巡査らの行為を単なる私的な違法行為と評価することは到底できず、巡査らの違法行為は権力作用にあたると評価するのが相当である。
したがって、本件においては、旧憲法下で行われた巡査らの違法行為について、国が民法上の使用者責任等を負うことはなく、また原爆投下後の措置について国が直接民法上の不法行為責任を負うこともない。
(裁判長裁判官有満俊昭 裁判官西田隆裕 裁判官村瀬賢裕)